どうも、ユメリアリストのかっしーです。
これまでの自分は幼稚園、小学校、中学校、高校と“いじめ”を受け、ついに“大学生”になります。
僕の大学生時代は全盛期と言っていいほどに、自分の好きなことに熱中した時期です。
- 「鬱になるまでの自分と鬱になってからの自分」幼稚園〜小学校
- 「鬱になるまでの自分と鬱になってからの自分」教師を信じない小学生
- 教師を信じなくなった僕は友達も信じなくなる中高生時代
- 大学生時代の僕は好きなことに熱中した全盛期←今ここ
- 研究内容の変更で僕の研究に対する熱を失う
- 教授の留学から始まった鬱へと進む自分
自分に合っていた大学生活
まず、大学での大きな変化は高校までのクラスがない点です。あるにはありますが、一回生という大きな枠組みと授業ごとの席分け程度です。
なので、僕にとって不必要なコミュニケーションを取ることが減り、かなり楽になりました(それでも、面倒なものもありましたが、、、)。
ほとんどの時間を仲のいい友達の数人と一緒に過ごしていましたが、その方が自分には合っていました。
一回生は勉強に時間を注ぐ
まず大学一回生になって最初に始めたことは勉強でした。
両親は
「バイトしなくても十分な仕送りをする。それでもバイトをしたいならすればいい」
と言ってくれました。
なので、僕はバイトをしない代わりに勉強に時間を使うことにしました。
授業のない時間は授業の予習と復習をしたり、試験用の問題を作ったり、
授業でも分らない点は授業後に質問したり、教授室にまで質問に行ったり、
とかなりの時間を勉強に使い、また積極的に質問もしていたと思います。
その結果もあってか、一回生の成績はいい結果になりました。
二回生で興味を見つける
一回生で良い成績を残して、二回生になると、さらに自分の勉強量は増しました。
それは自分の受講した授業の一つでした。
その授業では「エピジェネティックス」という遺伝学について話していました(エピジェネティックの説明は割愛します)。
私はこの「エピジェネティックス」の授業を受け、興味が湧き、すぐに授業をしていた教授に相談して、研究室の論文紹介に参加させてもらうようになりました。
二回生で研究室の論文紹介に自分から参加しに行くのは、かなり珍しい上に変わっていると自分でも思いますが、自分の関心があるものに真っ直ぐに進んでいるのは確かでした。
こうして興味を見つけたことで、勉強に対する熱も続き、成績も順調に伸びていきました。
三回生で努力の結果が出る
三回生でも、成績は少しずつ伸び、友達によると学科内で1、2番だったらしいです。
実際に、大学から学科を代表して成績優秀者として選ばれたり、返済不要の奨学金を貰うこともできました。
三回生では、研究室に仮配属という形で配属されます(研修のようなものです)。
特に、研究する義務もなく、自分に合っているかどうかを確認するためのようなものです(まあ、教授は研究しなくて不機嫌な場合が多いですが、、、)。
自分は第一希望の研究室に仮配属になったため、すぐに研究を始めました。
四回生で研究に没頭する
そうして、四回生になると研究室に本配属になります。自分は成績が良かったので、第一希望の研究室に入ることができました。
もちろん「エピジェネティック」の授業をしていた教授の研究室です。
本配属後も研究に熱を上げて頑張りました。
朝8時から夜8〜9時は当たり前(たまに寝泊まり)、帰宅しても研究のための勉強をしていました。
そのため、研究結果は教授も認めてくれるほどに十分に出せました。まあ、期待していた結果とは違いましたが、、、。
ですが、自分の全力を注いだ結果だったので、悔しくはありましたが、後悔はありませんでした。
大学の卒業から大学院に進学へ
ついに四回生も終わり、大学を卒業します。
ここでも僕には大きな出来事がありました。
まず、卒業式で学科代表して成績優秀者に選ばれ、表彰を頂きました。
教授からも「自分の力で勝ち取ったものだから誇っていい」と言われ、今までの努力が報われたようでした(この言葉が今後の鬱で苦しむ僕への最後の一撃になるとは思ってもいませんでしたが、、、)。
これまでに教師や友達を信じれなくなった自分が純粋に自分の好きなことに熱中して努力した結果が、他者から認められたことは僕にとって非常に嬉しかったです。
そして、大学を卒業しましたが、まだ僕は研究を続けたかったので大学院に進学することにしました。
その際には、大学院の修士1年の学費を全額免除までできました。
以上が僕の大学生時代の全盛期だった自分です。
かなり変わった性格でしたが、好きなことをやって結果も出て、評価もされた四年間でした。
次回からは自分が大学院で鬱になっていく話になります。
ではまた、夢を現実にするまで
次の記事はこちら▼
コメント