どうも、ユメリアリストのかっしーです。
今日は自分の大学生時代の全盛期から一転して、鬱になるまでの話に入っていきます。
- 「鬱になるまでの自分と鬱になってからの自分」幼稚園〜小学校
- 「鬱になるまでの自分と鬱になってからの自分」教師を信じない小学生
- 教師を信じなくなった僕は友達も信じなくなる中高生時代
- 大学生時代の僕は好きなことに熱中した全盛期
- 研究内容の変更で僕の研究に対する熱を失う←今ここ
- 教授の留学から始まった鬱へと進む自分
大学院へ進学して
僕は大学を卒業しましたが、研究を続けたかったので、大学院への進学を決めていました。また成績の評価も良かったため、修士1年の学費は全額免除になるのも大きかったです。
そうして順風満帆かと思えた大学院生活ですが、それ以上に大きな変化によって、僕は修士1年で精神的にも肉体的にもボロボロになっていきます。
研究内容の変更
最初の大きな変化は『研究内容の変更』でした。
研究室に配属されて研究している学生であれば、研究結果が芳しくないと、教授から研究内容の変更を言い渡されることはあります。
自分の研究室でも研究内容を変更した結果、良い研究結果を出せる学生もいました。
僕の研究内容は、四回生になった際に教授から与えられたものと、研究を進める過程で増えたものがありました。
研究自体には熱心に取り組み、時間も労力も費やしました。
ですが、一年の研究結果は期待したものではありませんでした。
なので、教授は大学院への進学に合せて、卒業する学生で結果に期待できる研究を僕に引き継がせることにしました。
捨て切れない自分の研究
教授と卒業生からは新しい研究内容を引き継ぎましたが、僕の中では大学生時代の一年間の研究を捨て切れずにいました。
当然、教授の考えは理解できます。より良い結果を期待できる研究に変えることは正しいと思います。
ですが、僕の全力を注いだ一年間の研究が教授の一言で終わりになってしまうのは、どうしても辛かったです(一応、片手間で研究してもいいとは言われましたが、そういうことではないのです、、、)。
そして、自分の中で一つの思考が巡りました。
「もし、引き継いだ研究を頑張っても、また研究結果が悪ければ、変えるのでは?
じゃあ、僕は何のために研究をしているの?」
さらに教授と研究内容を引き継いだ卒業生からは、
「研究に必要なものは準備できたから、あとは結果を出すだけ。楽でいいね」
とも言われました。
それを聞いた僕は「じゃあ、僕がやる意味あるの?」と思い、自分にとっての研究の目的や意義が分からなくなり、一気に研究に対する熱を失いました。
おそらく多くの学生からすれば、「たったそれだけで?」「研究内容の変更なんて、よくあること」と思うでしょう。
卒業するために研究している学生であれば、研究結果が芳しくないために、研究内容の変更は嬉しいでしょう。
ですが、僕は卒業がしたくて研究していたのではありません。
教授から与えられた研究内容ですが、自分の研究として、未だに分かっていないことを自分の手で明らかにしてやろうという思いで必死に研究をしていたのです。
もし、研究結果で卒業が決まり、自分の研究結果が期待外れであっても受け入れたと思います。
ですが、研究内容が変わり、ただ僕は先輩の残した研究内容の結果を出すだけの機械になってしまうと思い、それが嫌だったのです。
最後に
人によっては、自分勝手な言い分だと思う方いると思います。
確かに、大学生活で多くの学生は私の主観では卒業できれば何でも良いといった感じだったので、研究内容の変更は気にすることでもないかもしれません。
ですが、一方で僕のように必死に研究に取り組む学生もいるということです。
この経験で僕は自分にとって本当に大切なものは、たとえ自分より上の立場の人間からの指示であっても、立ち向かう必要があることを学びました。
でなければ、それ以降の自分は自分ではなくなってしまうからです。
ではまた、夢を現実にするまで
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