「鬱になるまでの自分と鬱になってからの自分」教師を信じない小学生

夢を叶える

どうも、ユメリアリストのかっしーです。

前回に投稿した記事では長くなりすぎてしまったので、もう少し小分けにして、自分の鬱について話していきたいと思います。

今回は“小学生時代に教師を信じなくなった出来事について”です。

暴力による“いじめ”

僕は小学生時代に暴力による”いじめ“も受けていました。

顔を殴られるような酷い暴力はありませんでしたが、わざとぶつかってきたり、蹴られて笑われることはありました。

手足を掴まれて抵抗できない状態で誰もいない教室に運ばれ、閉じ込められることもありました。

なので、僕は教師に相談したところ、「“いじめ”を受けたら言いなさい」と言ってくれて助かった気持ちになりました(まあ、ここから突き落とされるのですが、、、)。

“いじめ”を認めない教師

僕は日常的に“いじめ”を受けていたので、すぐに教師に相談しました。
ですが、そこで返ってきたのは意外な言葉でした。

「それは君が“いじめ”だと思っているだけで、勘違いだ」

まさかの答えに小学生の僕は戸惑いながらも、“いじめ”を受けた状況を詳しく説明しました。ですが、教師は取り合ってくれませんでした。

そこで、僕は教師に“いじめ”を認めてもらうために、僕が“いじめ”を受けているのを見ていた友達と一緒に教師に相談しました。

ですが、そこで返ってきたのは言葉は同じでした。

「それは君達が“いじめ”だと思っているだけで、勘違いだ」

なるほど、僕は「自分が“いじめ”を受けているという勘違い(バイアス)に陥っている」と言いたいのでしょう。

つまり、“いじめ”というものは実在せず、今も“いじめ”で辛く苦しんでいるは全て“自分の思い込み”、そして、自殺にまで追い込まれたとしても、それは“自分の思い込み”が原因ということですね。

こうして、小学生の僕は教師というものは頼りにならない存在だと思いました。

“暴力”は認めない、“いじめ”も認めない教師

教師が頼りにならないのなら、もう自分で解決するしかありません。
そこで僕は“いじめ”に抵抗することをしました。

殴ってきたら、殴り返しました。ですが、また殴られました。
蹴られたら、蹴り返しました。ですが、また蹴られました。

そして、僕は“あぁ、これは不毛な戦いだな、、、終わらない”と感じました。

そこで、根本的に解決するためにと、もう一度、教師に相談することにしました。
ですが、そこで返ってきた答えは、あまりにも小学生には衝撃的な言葉でした。

「暴力を暴力で返してはいけない」

「え、何言ってるの、、、この教師は?」というのが僕の最初の気持ちでした。僕の暴力に対する抵抗には注意して、 僕の受けた暴力を認めながらも注意しない。

子供でも分かるほどに、意味の分からない言葉でした。

この“いじめ”は最終的に両親に相談することで解決しました。

ですが、僕は小学生にして“教師”という存在を信じなくなりました。

“いじめ”と“教師”に学んだこと

以上が、僕の小学生時代の“いじめ”と“教師”の話になります。

当然、“いじめ”も“教師の対応”にも辛いことが多かったです。

ですが、その分、自分は“いじめ”をすることはなかったと思いますし、教師の言葉を鵜呑みにせず、自分で考えるようにはなったとは思っています。

ではまた、夢を現実にするまで

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この記事を書いた人

『二次元に行く』という謎の夢に生き、本気で実現するためにタスク管理やライフハックの沼にハマっていく日々を過ごしています(もはや病気である)
そろそろネット上の情報に飽きてきたので、学術論文とかも調べよう。

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